『他人の死』

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他人の死で泣いたこと・・・。それはただ1人、伝説のF1ドライバー「アイルトン・セナ」
 私は学生の頃、F1が好きであり、彼のファンであった。その天性のテクニックとセンスは非常に魅力的であり、彼のライバルとの激闘は毎レース、スリルと感動があった。特に印象に残っているのが1992年のシーズンである。このシーズンはウィリアムズが最新技術の「リアクティブサスペンション」で脅威の安定性とスピードで開幕から「ナイジェル・マンセル」が5連勝、いくらセナとはいえこのハイテクマシンには太刀打ちできずにいました・・・。
 しかし6戦目はセナの得意とする「モナコ」。スタートダッシュを決めてトップに出れば、抜きどころが少ないモナコであれば、なんとかなるかもしれなかった。そしてレースはそのとおりになり、マンセルも終盤にトラブルが発生したりと幸運も重なり、レース残り周回数が3ラップセナがマンセルをデッドヒートの末、かろうじて押さえ込み優勝。そしてその翌年のモナコのレースでも優勝し、「モナコマイスター」の名誉を得たのでした。

しかしながら1994年のサンマリノグランプリにおいて彼は本当に伝説になってしまいました・・・。私は当時リアルタイムでTVを見ていて、彼の死が伝えられた時は全く信じられず呆然として眠りにつきました。そしてあくる日、彼の死のニュースや新聞を見て初めて他人の死で泣きました・・・。そのシーズン以降、F1は全く見ていません・・・。



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1994年5月1日、イモラでの 悲劇から11年を迎えます。 アイルトン・セナが、 F1の面白さを教えてくれました。 セナに捧ぐ〜伝説になった音速の貴公子 34歳の若さで逝った音速の貴公子。 161戦出走で、優勝41回、ポールは65回。 続きを読む

コメント(2)

おれもリアルタイムで見てた。
おれはアンチセナ派で、F1見てる時は、
「とにかくセナを止めろ!いけ!おっさん(マンセル)」という感じで毎回見てました。
でもいざセナが死んでから、F1みても全然つまらなかったんだよな・・・
そのシーズンぐらいでF1熱も冷め、今はたまたまテレビつけたらやってる時しか見ない。
あれはホント、ショックな出来事だったね。
そういや、そのときぐらいにベネトンで入ってきたシューマッハが今やスターですな。

こんばんは。
セナの死から、もう11年。もうすぐサンマリノGPですね。
確かに彼の死はショックでしたが、私はその次戦のモナコGPが印象深く、
忘れられません。
グリッド上のポールポジションにブラジル国旗が描かれ空席になっていた
あのレース予選で、M・シューマッハがすでにポール確実な予選タイムを
出しているにもかかわらず、ひたすらセナの持つコースレコードに
挑んでアタックを続けていました。
ほんとに、彼のマシンの前をセナの幻が走っているかのような光景を見て、
セナの偉大さと、シューマッハの真のスポーツマン精神に本当に
感動したものです。
F1も興行ですから、人気が上がったり下がったりはするもんですが、
そこで走る連中は、多くの先人たちの跡を追って、今も火花を散らして
走っているんだなと思います。

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このページは、magic-Tが2005年3月30日 00:10に書いたブログ記事です。

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